ヒザがいたい人ブログ

本、自分自身など

100言っても2しかやらない海外の労働者。

  • 100言って100やるなんて期待しないのが普通。

  • 僕の職場もそうかもしれない。でも、日本人はすごいかも。

  • ところで、インドの人は英語を話せる、日本人はほぼ話せない。外国語はどうやったらできるようになるか。

 

 

 

Tは嘆いた。「100言っても2しかやらないから、あの人たちは。」

工事現場で指揮を執っていたTは、苦しかった経験の一つにこれを挙げてくれた。

労働者が指示通りに動くことはまずない。

日本の労働者は世界基準でみると素晴らしいようだ。

確か森岡毅の本にもちらっと書いてあった。

 

"高い就労モラル"

"現場の団結力"

"日本は奇跡のような国"

などなど日本の現場の生産性を褒めている章がある。

これは世界と比較したらの話だ。

これが記憶に残っていたから、Tの話で本当のことなんだと、事実なんだと改めて確認できた。

Tのおかげで、これが揺るがない事実なんだと認識できた。

 

Tはたくさん話してくれた。

「100やってもらわないと困るから、こっちは20000言わないといけない。」

「言語の壁のせいで、これがもっともっと大変になった。」

100教えて2しかやってもらえないと、きついだろうなぁとは思った。

 

そもそも、インドではこんな労働への姿勢でお金がもらえるなら、管理監督の立場はどれほどのお金がもらえるんだろう。

苦労と報酬に相関があるとみてる方がおかしいのだろうか。

「海外」は、常識の疑い方の一つだとわかった。

 

 

 

 

僕も自職場で働く人には驚かされる。

Tに比べれば、豆粒ほどのストレスしか感じていないかもしれない僕の話をする。

僕も現場と隣り合わせの社会人生活を送っている。

オペレーターには本当に驚かされる。

 

本当に考えることを忘れている。

人間の学習するって特長を捨ててしまったんですか!?と言いたくなるほど同じ失敗の繰り返し。

20年選手が何人かいるが、あとから入ってきた人に追い抜かれ、、、、というような状況。

止まらなくなるぐらい呆れるエピソードはあるが、日本でもそんな人間がいるのは事実だ。

 

しかし、仕事を放棄するような人は少ないのだろう。

ルールを守るという点では海外よりも優れている感じはする。

先程紹介した森岡毅の本で、アメリカでの体験が書かれていた。

"大工を雇ったのですが、どいつもこいつも休憩時間ばかり長くて腕は最悪でした。"

アメリカの就労意識は世界基準で悪くはないらしいですが、このレベルのようだ。

更に、"インドネシアの知人は着工10年以上経ってまだ完成していない家に住んでいる。"や"配管工事で水道管を破裂させられ、水浸しになった挙句に金属製の備品がきれいになくなっていた"なんて彼の知人のエピソードも書かれてあった。

 

僕はオペレーターは休憩時間が短いにも関わらずよく頑張っているなと今の現場を見て思う。

彼らが作業をやってくれることに一定の理解を示すようになれそう。

海外では作業すらやってくれない奴らばかりなんだ。

 

しかし、日本でも自ら考えて改善するってのは難しいんだと納得した。

それでも、20000言えば100やってくれるなら、何度も何度も言うようにしよう。

ここは質の高い国、日本だから笑。

 

自職場では、所謂仕事ができない人ばかりだが、

世界の一部を知っただけで"勤勉な労働者"であると考えることができた。

世界を知るってのは僕にとってとんでもなく面白いことかもしれない。

 

 

 

インド人って英語話せるの!?

 Tの話でもう一つ驚いたのはこれ。

どうやらヒンディー語と英語は大多数が話せるらしい。

インドは共和制国家だから、州の集合。

その州ごとに言語があるらしく、訛りではなく別言語。

そのため、血筋が州を跨いでいると6、7言語話せるような人もいるらしい。

小さい頃、おじいちゃんやおばあちゃんと接しただけだから、書けないけど話せると人もいるらしい。

大学では英語で講義が開かれているらしい。

 

こんなにたくさんの言語を身に付けているインド人。

日本と比べれば、優位に立てる能力。

やっぱり言語はインプットとアウトプットを繰り返していればよいみたいだ。

 

 文法や語彙がしっかりしているわけではないらしい。

だが、日常では苦労しない十分な英語力は身に付いているらしい。

勉強によるものではなく、生きるために身に付いたといった方が近いかもしれない。

同じ国の人間同士がコミュニケーションとるのに、英語が必要な場面があるのだから。

 

 

ところで、Tは言っていた。

「生存がかかっていれば、なんでも身に付く」

インドの人は生きていく過程で自然に身に付けたから命を落とすようなプレッシャーはなかっただろう。

Tは仕事で稼ぐために、ご飯を食べて生きるために英語を必死に実践で身に付けた。

命を懸けるとは簡単に言えるようなセリフだが、追い込まれた環境では加地場の馬鹿力ってやつが発揮されると知った。

 

 

僕も外国語を身に付けたい。

仕事をするうえではスペシャリスト志向であるし、その特徴のひとつに欲しいのは外国語での業務を担うことができる、だ。

方法の一つとして、生存をかけた環境に自らを放り込むことを頭の片隅に置いておこう。

ありがとう、T。