まずは発言を見直そう!コンファメーションを観て。
今年から転職して女性の多い職場に勤めています。
ひとつ意識することが増えまして、セクハラに気をつけて過ごすようになりました。
Amazon primeでセクハラについての映画を偶然見つけ、一気に観てしまいました。
感想を書きます!
- 言葉だけでもダメ。
- セクハラの傷は目に見えない。
- 差別に比べて弱い。
1.言葉だけでもダメ。
この映画は最高裁判事の任命を控えた判事のセクハラを告白した元部下の闘いを描いています。
この話は実話で、セクハラを世間に認めさせた映画だと言われています。
女性の社会進出を勇気づけるきっかけになったと思います。
映画のレビューはこちらがとてもわかりやすく、あらましを知りたいかたは是非ご覧ください。
僕はこの映画でセクハラへの理解が足りてないことに気づきました。
判事は元部下に、性的な言葉を執拗に発したり、断ってもデートへの誘いが終わらなかったり、、、と言った内容でセクハラを告白しました。
生々しい内容を自らの口で発する元部下でしたが、僕はセクハラだけど弱いな、と思ってしまいました。
何故かというと、ほとんどが言葉だったからです。
喋ってるとき、冗談で「セクハラだよ~」なんて言われたことはありませんか?
コミュニケーションかもしれませんが、社会で公になればセクハラとして成立するのだと気づきました。
テレビの企画で24時間胸を揉み続けたら、サイズアップしたんだって~と女友達に話したら「なんでそんなこと私に言ったの?」と凄まれてしまいました。
いくら仲がよくても嫌なもんは嫌みたいです。
2.傷ついてるかどうか目に見えない。
見える形で傷ついていないので、傷つけてしまったかどうかがわかりません。。。
加えて、バカとかアホのような悪口の意識がないときがあります。(さっき1.で書いた僕と友達のやりとりみたいに)
女性によっては、「おっぱい」もダメなようです。「胸」と呼ぶのがマナーのようです。
3.差別に比べて弱い。
これはセクハラが軽視されてしまう理由のひとつです。
映画に登場する元部下は黒人であり、判事がセクハラの事実を否定するために黒人であることを利用します。彼の言葉で公聴会の空気が判事を味方するようになります。元部下の告白は嘘なのではないかと。
白か黒かはそれほどアメリカ人の心に訴えるものがあるということです。
逆に言えば、セクハラが浸透していないのだなと。
差別と違い、同じ行為をしても受けとる側がセクハラかどうかを判断できる人の気持ちに依るところが大きいのが難しいところです。
差別発言を受ければ、皆が虐げられたと感じるでしょう。たとえお互いの関係が親密であったとしても同じだと思います。
でも、セクハラ発言の場合はそうとは限らない気がします。気持ちの問題です。
・最後に
セクハラの告白で世間が揺れたエピソードから、セクハラは社会的制裁を受ける行為だと再認識しました。
最高判事は現在も職務についているようですが、「セクハラの人」となっています。少なくとも僕はそれで覚えました。
最近のニュースから、今後はセクハラや他のハラスメントで徹底的に避難される世の中になると思います。
何をしてもセクハラを認めてくれない世の中が、何もしてないのにそれだと言われてしまう世の中に変わりつつあります。
「自分のことは自分で守る」は、セクハラされる側だけでなくセクハラしてると疑われる側も意識しなきゃなと思いました。
まず、発言に気をつけて過ごしていこうと思います。